2013年09月30日

雪人形

初雪の夜、ヒーコが訪ねてきた。豹柄の服がヒーコの定番なのに、今夜はわたしの好きな白いワンピース姿だった。傘もささずに髪に雪が溶けて濡れている。蒼白いくちびるが震えていた。木枯らしに雪が舞い踊る。玄関の戸を閉めるとヒーコは部屋に入ってきた。

タオルを渡すとヒーコは笑顔になり髪を拭いていた。暖房のきた部屋に入っても、ヒーコの吐く息は白かった。ファンヒーターをフルパワーにすると「寒くないわ。アイスコーヒーを飲みたいの」とヒーコは言った。作って部屋に運ぶと、ヒーコは暖房を切っていた。

ヒーコがストローをくわえると、わずかのため息だけが吹きぬけるストローの空洞に、ブ
ラックのラインがスーッと曳かれていく。ヒーコの口びるに、コーヒーは音もなく導かれ、ガラスコップは素早く衣装替えをするように透きとおる。

ヒーコが履いていた赤い靴を思い出し、二階の押入れに取りに行く。取り出してきた靴の箱は黄ばんで湿気ていた。「なつかしいね」ヒーコはにこにこして箱を開けた。萎びた赤い靴は久しぶりに蛍光灯の光にあたり、まぶしそうに目を細めているようだった。

ヒーコは赤い靴を抱きしめる。十七歳の少女の顔から少しも変わらないヒーコを一心に見つめてしまった。わたしは一年毎に年老いていくのに、ヒーコの時計は絵画の風景のように動いていない。針はあの日の時刻を呼んでいる。いつまでたっても更けることも明けることもなかった。

「ハル、ありがとう」そう言いながら、ヒーコは部屋の暖かさに耐え切れず、頭から溶けはじめていく。一滴、一滴、汗をかくように。水滴に変わるヒーコの体は、座布団と畳みを濡らしていた。

いつかのその昔。不治の病に罹ったヒーコは、残り少ない命のために恋人を悲しませたくないと思い、病のことを隠して別れを告げた。櫛の歯を通る髪はするすると抜け落ちていく。治療のきざはしを昇る途中の踊り場から舞い墜ちてしまったヒーコは、見知らぬ樹海に落下したきり。踊り場には行儀よくまっすぐに揃えられていた赤い靴。ヒーコの残したものは、この赤い靴だけだった。

冬になると、灰になったはずのヒーコの柩と風のような面影は、鉛色の空に舞い上がる。雪起こしがヒーコのとうめいの体を、粉々の雪の結晶に変えていく。初雪が積もると、ヒーコのひとひらを拾い集めて、わたしは雪人形を作っている。ヒーコが最期に履いていた赤い靴を祀り、がらんどうの柩が真綿に包まれていることを願って。

雪人形の上半身が水になり、ヒーコが座っていた周りが水びたしになっていた。もう、ヒーコの姿でも雪人形の姿でもなくなった雪のかたまりから、赤い靴が濡れている畳に転がり落ちていく。わたしは、雪のかたまりを両腕で包み、冷たい断片に顔を埋めていた。わたしの体温に溶かされていく、ヒーコ。

(ヒーコ、抱きしめられないね)

窓ガラスに粉雪が降りそそぐ。しんしんとちぎれたヒーコの記憶のひとひらが、まっ暗な夜空から舞い降りてくる。


   



posted by 水月 りら at 22:32| | 更新情報をチェックする
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